今年2017年いっぱいは大学院を休学して海外へ遊びに行くと決めてました!
バンクシーと子猫とふーちゃん
この子猫は世界的に有名な覆面グラフィックアーティストのバンクシーがパレスチナのガザ地区に残していったもの。
リンクを読んだら良くわかるけど、この絵の理由を聞かれたバンクシーは
自分のウェブサイトに写真を投稿して、ガザの破壊された姿に焦点を当てたいのだ、と。インターネットの人たちというのは、子猫の写真しか見ないものだから
と言ったそう。
そして今日の私といえばこれです。
母と姉が行くっていうのでついていきました。
SNSで有名な猫たちの写真が一堂に集められ
これでもかというくらい癒してくるという催しです。
入る前はね、
「ネットの画像集めただけやん、お金勿体無いし入らんでいいや」
とか言ってしまった。空気読まずに。お母さんに
「せっかく来っちゃけん入っとこうよ」
と諭され入場。
正直、大きく見れるってだけで所詮画像。
癒し効果はスマホの画面を見てるときと変わらない。
それでも十分ににやけてしまうけれど、
3人でニコニコできて割といい時間過ごせたけれど、
太ももと猫というコンセプトでツイートしているユーザーさんを見つけてすかさずフォローしたけれども、
ふーちゃんの揚げ物っぽさのある画像がとても可愛かったけれども、
猫のふわふわの毛先までバッチリ拝めて幸せだったけれども、
値段相応に堪能したけれども、
これで学生400円かー、いい商売やなと思ってしまった。
それこそ子猫の写真しか見ない比較的安定した国の私たち向けの
超・娯楽だなと思った次第です。
でも問題に目を向けたところで私には「知ること」以上の何かが
出来るかと言われたら疑問です、考えないようにしてるだけなのかもしれないけど。
大事な人とモノは手の届く範囲にあることは間違いないので。
それらをパーフェクトに大事に出来たらそれでよしとしてほしい。
幸せ享受させてほしい。
でも
ネットでどんな世界にでもアクセスできる時代の私たちにこそ響く形で
バンクシーは訴えてくるんだなー
猫ばっかじゃなく世の中のハードな面も見なはれと
それには自身の知識も必要で、猫みたいにふわふわで甘くはないけれど、
知ったら知っただけの面白さや鮮烈さがあるのだろうと思う。
でもこの子猫グラフィティを真の意味で理解できるのもこの時代に生きる私たちだけだと思うので
この現代アートとしての子猫グラフィティさえも享受している。
でも優しさは連鎖するはずだから身近な人に優しくして遠いパレスチナの人まで届いたら最高じゃないかな。それくらいしか浮かばないや。
とかいう理想論でおしまい。
「2025年の私」
********************************
********************************
これは私の小学校の卒業アルバムでの作文だ。
卒業生一人ひとりが「6年間の出来事」や「心に残った思い出」など様々なタイトルで作文を書いている。私は将来の自分を妄想して文章を書いたようだ。
不覚にも泣いてしまった。そして、ちょっと笑えた。
昨年はなんだか自分の気持ちと折り合いがつかず足踏みして終わったことが多くて
モヤっとした一年だった。ようはなにもしていない・・・。
だからこそちょっと救われた。初心に帰れたというか私の今後の指針を示してくれているというか、これを32までに達成するために私は今、デザインやアートの分野でざぶざぶ泳いだりあぷあぷ溺れたりしているのだと実感した。
昨年は溺れ続けた一年だった。表面は穏やかだったが内心では大荒れ、第三次世界大戦並みの議論が繰り返され私の希望は今にも白旗を掲げそうだった。
ネガティブな思考がつきまとい思うように体が動かず自己嫌悪を重ねる毎日・・・。
心療内科に行ったら鬱って言われる気がして行かなかった。そんな感じ。
たぶん小6の私なりに考えての2025年なのだと思う。だって32才って12才からしたら結構遠い。20才とか25才を念頭に卒業の作文を書いている人が多い中、あえて20年後の32才。
想いが強ければすぐになれるとかそんな理想はこの時から抱いていなかった、そもそもそんなに強い精神を持ち合わせている人間だとも思っていなかった、だから32なのだと思う。
23才のテメェなんざまだ道半ば、やれることからやりたいことからやっていけと背中を押してくれた。気がする。
小6の私、先見の明ありすぎ。ありがとう。
まだ道は途中のようだし、今の私は道草する気満々である。
だから2017年は実りある年にしたいねっていう話でした。
【備忘録】女子ひとりヒッチハイクの話〜岡山福岡間〜
日記の意義について考える
この日記は備忘録的要素が強いものにしていこうかなっって思っています。
基本思考がぐちゃぐちゃで散らかってるので冷静に考える場というか、論理的思考に立ち戻りたいがための日記。
あと一旦文章にすると人に話すときに順序立てて分かりやすく話せる気がするから。
エピソード記憶が弱い私にはぴったり。
普段は手帳にその日にあったいいことを3つ、星マークのあとに書き連ねています。
内容は読み返すとかなりささいなことしか書いていないけれども、
毎日何かしら楽しんでるなーと思うと幸せを噛み締められるのでおすすめ。
常に前を向いていろいろアクションを起こせたら、精神的にもいい状態な気がするけれども、
ふとあのときなにやってたっけって過去を振り返りたくなったときにとても助けになるから、日記は好きだ。
好きだから初めてみる、日記が文章が、そんな感じ。
なんであえて公開かっていうと、人に文章を褒められる快感を知ってしまったから。
Facebookに投稿した文章をね、たまに、褒められるのです。
褒められるのが好きな人も多いから共感してもらえると思います。
承認が欲しい欲求の段階まできているのです。
マズローの欲求5段階ってやつですね。
生まれたばかりの赤ちゃんみたいに、快か不快かだけで生きれたらそれほどシンプルで
かっこいいことはないけど、
幸か不幸か私は理性を持った人間です。
複雑化した思考や心理から芽生えちゃうよね、承認欲求。
でもそれが人間が人間たる社会性ってものにつながっているのは明白なので、
この気持ちと生きていくしかないですね。
赤子から子供になり、青年になり、大人になり、
生きれば生きるほど新しい気持ちに出会える気がします。
大人になると涙腺がゆるくなるのは、たくさんの感情を知ってその気持ちを経験しているから、人の話を聞いただけでも共感が生まれて、同じとは言わないまでもそれに近い感情を思い出せるからだろうなと思っています。
気持ちは喜怒哀楽だけでは言い表せない多様性を持っているし、それに名前が付いていないことがけっこうあって、もやもやするって思うことはたくさんあるけれど、
その気持ちといかに向き合って人に伝えるなり、自分の中で昇華させたりするかが次につながっていくと信じている。信じたい。
もっと人間らしく、泥臭く、汚く、醜く気高く生きたいですね。
頑張れ私、頑張れみんな。
朝は空気がひんやりしてもう秋めいてきていますね。
【終了】卒業制作展
100人ほどの人間それぞれが1年かけて
あれこれやって完成した(たぶん)渾身の作品たち。
その学校単位での展示。
すごい熱量が個々の作品にはこもっているはずなのに、いまいちぱっとしない卒業制作展。
はがゆい。
もったいない。
惰性を変えたい。でももう卒業。
世の中上手くいかないね。
私は牛と肉ッションをコットン70%で作りました。
2m強の牛のぬいぐるみです。
反省も達成もあれこれあるけど結果は
ああなりました。それがすべて
反省が多め、悔しいけど結果がすべてなのです。
自己管理が難しすぎます!
テーマがテキスタイルでは難しかったのかなとか
テキスタイルで出来ること出来ないこととか
わりとネガティブな思考で考えてました。寒いとなんかね。
ネガティブは、現実的で冷静な思考でもあると思うので持っててもいいかなって。
仔牛パネルはぜひ読んでほしいです。
わりとショッキングな事実だと思います。
肉ッションは明日テイクフリーでお持ち帰りOKなので
お気に入りが見つかりましたらぜひ連れ帰ってあげてください。
先着96名様です!!
と言っていたのはもう169日前。の下書きから始まります。
なんかすぐ頑張れなくなる自分のうじうじとか希望とかを書き連ねる取り留めの無さすぎる日記。
頑張れ私。頑張れみんな。
そんな初ブログ。