とうとうと

とうとうと過ぎる日々にとうとうついていけない思考を取りまとめる

北京からウランバートルへバスと寝台列車で行きます①

 

ネットで調べるとわんさか出てくるのでそれに基づいて行けました。

 
北京から夜行バスで中国の国境近くのエレンホトへ
エレンホトからバスでモンゴルの国境近くのザミンウードへ
ザミンウードから寝台列車でモンゴル首都のウランバートル
というルート。
 
 
本当は列車で北京→ウランバートルするつもりが、ネットのチケット完売だったので
急遽予定変更です。
 
でも結果、列車よりも安く移動できたので時間が有り余っている私としてはよかったです。
 
 
ホステルで荷物を回収し前門から2回地下鉄を乗り継いで35分ほどの大紅門へ、
降りるとバスターミナルはC出口だという看板が。
出る。
でもそこからが分からない。オフラインの私、地図を確認していなくて詰みます。
近くのおじさんにバスターミナルの文字を見せると
とても大きなモーションで説明してくれました。
この大通りをまっすぐ、そして最初の横断歩道を左だ、そこをストレートだ!
とのこと。
C出口から地上に上がったらそのままの進行方向で大通りを進み、最初の横断歩道を左、
そのまま道なりに進むと左手に見えてきます。
左に曲がると左手に反物屋さんが並んでて、むちゃくちゃ入りたい気持ちでしたが、
調べていたバスの出発時間16時に間に合わなそうなのでスルー。
 
25分は歩いた気がします。
道なりに進むのが長すぎて不安になって、近くのお姉さんに聞いたらわざわざマップで調べてくれて、この道で大丈夫!と教えてくれました。ありがとうございます。
 
人に道きくとたまに間違ってたりもするので、二人以上に聞いて合ってると安心ですね。
 
そして、16時、到着です。
 
荷物のチェックがあってチケットカウンターへ。
17時半と18時の便があるそうです。焦った意味!!と思いつつもちろん早い方を選択。180元。
 
一時間半待ちました。
バス乗り場はチケット売り場の右手から入れたんですが、
係りのおじさんにチケットを見せると「Too early」という一言をいただきました。
売店にシュアンシュアンの息子がくれた美味い干し梅(5元)があったのですが、
残金的に買えず水だけ買いました。
 

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そして、乗り込みます。
バスは横になれるタイプの夜行バス。これはぐっすり眠れるのでとてもありがたいですね。
 

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しかし、出発時の乗客が私含め2人でとても不安になります。
もう一人はモンゴル人のお兄さん。バスを待ってる間日記を書いてたのですが、
「左利きはモンゴルではとてもクールだ」とかをGoogle翻訳で伝えてくれてた。
とても気さく。
 
さてさてバスに乗って10分ほどで表通りのモールに停まります。
 
そこにいたのは人・・・そして大量の荷物!
安心したのも束の間、今度は全然発車しない・・・
そりゃあんだけの荷物時間かかるわと思い、待つこと1時間・・・
今度は乗客の数人が現れないよう・・・
バスが出発したのは結局19時半でした。
 

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でもやっぱり楽チン寝台バス。横になって国境へ向かいます。
ふいに目覚めて見た星空がとてもとても綺麗でした。真っ暗な中を走るバスと星と、なんて贅沢。
 
 
翌朝、目覚めるとそこは中国の国境、エレンホトでした。
今度はバスでモンゴルの国境ザミンウードを目指します。
 
バスターミナルに着くのでそこでチケット購入。
と思ってエレンホト!と言うのですが、おばちゃんのジェスチャーだと、右手のチケットカウンターで買うんだよとのこと。
 
右手にも待合室があるので行きます。
え、チケットカウンター無人なんですけど・・・と思っていたらツアーコンダクターっぽいおじさんが無人のチケットカウンターらしきところに向かっている。
様子を見ていると乗り場の方からおじさんが歩いてきてチケットカウンターに座ります。外でおしゃべりしていたようです
ここでチケットは買えるようです。
 
待っていると私の番。
無事チケット購入です。40元でした。
 

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出発時間を中国語で書くので、数字に直して確認します。
13時。現在8時。5時間。
待機には慣れている柴田、本読んだり絵を描いたり文字を書いたりで時間を潰します。
外に出ていくという発想はないという隠キャぶりです。
でも途中モンゴル人の女の子、マーラと仲良くなってお話です。北京で石油工学を勉強しているそう。
これから帰省するためにバスに乗り込むらしい。
そして、その子がむっちゃ社交的で、台湾人のバックパッカー的な男の子、チャンくんにも話しかける。
 
3人でおしゃべりして時間が過ぎていきます。
途中、中国語で話す二人をポカンと見ている瞬間もあったけど
すかさずマーラが通訳してくれます。トリリンガルかっこいいな。
 
そんなこんなでバスの時間です。チャンも同じバスだったので一緒に乗り込みます。
 
バスでいざ国境越えです。席は自由。移動の間、中国のツアー観光客が話しかけてきます。
朝のツアーコンダクターさんがぞろぞろと連れてきた人々。みんなお茶目。
日本語が少し話せる人もいて簡単な挨拶なんかを教えあいました。
 
まずは北京からの出国手続き。
バスは回って拾ってくれるので、みんな大きな荷物は置きっぱなしでした。
なのでそれに習います。というか重いから持ちたくないす。
 
列に並んでいると、イミグレの服着たおじさんから、旅行者か?どこから来た?と聞かれ、ジャパニーズやと答えると、ついて来なさいと言われる。
不安がじわっと広がりましたが、チャン共々違う列の先頭に並ばされる。
 
その列は新人さんが研修でついている列のようで、私たちを連れてきたおじさんが横についてあれこれ教えながらの出国審査です。
外国人の出国手続きに慣れさせるために連れてこられたようです。
何事もなく終わりました。
 
列をショートカットしたのでそのあとバスを待つ時間の方が長かったですね。
 
バスが着いたので乗り込みます。
次はモンゴルの入国手続きです。
今度はさすがに全ての荷物を持ってです。
 
こちらもあっさり終了。
ATMがあったので現金を少しおろしておきました。
 
それから15時、無事ザミンウードに到着です。
 
次は寝台列車に乗ってウランバートルを目指します。
 
長くなったのでまた次に。
 

万里の長城に行きました。

 
 
翌日7:30にチェックアウトして万里の長城
 
本当は北京北駅から電車で行こうと思ってたんですが、
駅員のお姉さんいはくその駅は今閉鎖中だと
 
 
ということでバスで行く事に
Subway2の保水譚駅で降りてバス乗り場まで歩きます。
 
 

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877番のバスが万里の長城行き、長蛇の列に並びます。
バスはかなりたくさん待機してたので15分くらい待ったら乗れました。
イーカートンという中国のSuicaICOCAみたいなカードだと片道5元弱で乗れるのでこれを買ってた。
乗ったらイーカートンを回収され、現金の人は現金を回収され支払いは完了。
 
やはりそのくらいだったようです。
 
 
 
着いたら入場チケットを買うのですが、私は学生料金で20元(320円くらい)の入場チケット。
大人料金だと40元(640円)。
 

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国際学生証を見せると、チケットのようなものを手で見せてくれるので頷く。
 
すると電卓をに金額を打って見せてくれます。
 
120元
 
え、高くね?なんで?と思ったものの後ろが待ってたので払う。
 

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そしたら2枚チケットをくれて、一枚は入場チケット、もう一枚はスライダーのチケット(100元)。
あっちゃー、さっき見せてくれたやつやん、
入場チケットと思うやん。
完全に勘違いです。
払い戻したいと言ってたら無理っぽくて、そもそも英語通じなくて。
 
ちょっと粘ってたら、親切な家族がスライダーの乗り場まで連れていってくれる事に。
なんでや。
 
もうこれは親切に甘んじるしかないね・・・。
と思い案内されることに。
 
 
この乗り場が結構遠くて道すがらクマがいました。
 

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クマ・・・クマ・・・クマ・・・芸達者なクマ・・・
私がフラフラしてるとこっちだよ!と言ってくれるママ。
名前はシュアンシュアン。とても親切な人。
 
 
歩くこと10分くらいで乗り場着。
待ってる人多いな!
 

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雨が降りそうな空模様だったのですが、親切な家族のお父さんが家族ついでに私に簡易のカッパをくれる。
そのさりげなさがグッときました。
ちなみにお父さんは白いタンクトップと短パンといういでたち。
タンクトップ父さんと密かに呼んでいました。
 
スライダー待機の列は進みは速いものの20分くらいは待ち、
ついに私たちの番。
前に並んでた小さな女の子が怖がってギャン泣きしていました。
確かにちょっと音は怖い。
 
いざ私たちの番!ということで
 
乗る。
 
そして上のビュウポイントを目指します。
全く綺麗な景色とかは見れないまま、ひたすら草木の隙間をかいくぐります。
 
ジェットコースターで今か今かと落下するのを待つあの登りの時間が10分弱続き、
到着!
落ちてないので消化不良感。
日本帰ったらスペワ行こと思いましたが、もうスペワ無いんだった、悲しいですね。
 
登ってからも順路に従うのでシュアンシュアン家族と行動を共にします。
 
シュアンシュアン、タンクトップ父さん、おばあちゃん二人に5歳の息子一人。
おばあちゃんの服が全く同じ色だったんだけどおそろっちってやつですかね、
なんにしろ仲良しの家族でした。
 

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息子はやんちゃ盛りなのでしょう、一人でがんがん先に進んんでもう見えんやんと思ったら
ちゃんと先で待ってくれてるようないい子。
途中干し梅もくれました。
え、なにこれむっちゃ美味しい。朝からなんも食べてないことにこのとき気づきました。
 
シュアンシュアンは美人さん、そして、一緒に写真撮ろうよとか言ってくれたり、
ありがとうと言うと、ありがとうなんていいの!みたいな感じの人です。
 
本当にすげーな、と思いっぱなしです。
今会ったばっかりの異国のどこの馬の骨とも分からないような女にこんなに親切に出来るのって。
 
 
 
万里の長城は英明Great Wallなだけあってグレートでした。
 

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昔の人ってすごいなぁ。
万里の長城マラソンも開催されているらしい。
万里の長城のグレートさを全身で体感できるはず。
 
 

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天気は快晴とはいかず、霧がすごいです。
地元の人かな?アジア人しかいないのではってくらい、アジア人ばかりでしたね。
 
シュアンシュアン家族も中国住まい。
 
途中の休憩でぶどうもらいました。美味しい。
中国では、果物とかをそのまま持ってきておやつとして食べるようでした。
 
そんなこんなで観光終了!
 
行きも帰りもスライダーです。
帰りは一番前に係りの人が乗っていて、スピードを調整しながら降りていく仕様。
盛り上がりに欠けるジェットコースターのようでした。
 
 
行きか帰りはやっぱり登りたかったな〜。
次回の宿題ですね。
 
バス乗り場に戻って、バスに乗って北京に帰ります。
1時間くらいで到着。
 
 
 
 
シュアンシュアン家族にお別れを言って地下鉄に乗ります。
 
窓口でイーカートンの払い戻しをしたいと言ったら、ここでは無理だよ!
ノーノーノー!と言われてしまいました。
 
やばい、スライダーで100元使っちゃったから払い戻ししてもらえないと
国境越えのお金足りないどうしよう、、、と思っていたところに
 
再びシュアンシュアン家族の登場。
事情を説明したら、残高分の現金とイーカートンを交換してくれました。
本当に助かりました。ありがたい。
 
そしてしばたは無事にホステルへ帰れましたとさ。
 
そんなこんなで万里の長城よりも印象深い家族の話でした〜。
 
世界遺産負けた〜〜〜負けちゃった〜〜〜
中国という国にも興味が湧きました。
 
 
ホステルに着いてホッとしたのも束の間ですが、
これからバスで国境越えが待ち受けているのでそそくさとホステルを後にしました。
 
 
 
 
 
 
 
 

①最初は北京

 

福岡からの便で北京首都空港へ。最初の国は北京です。

 
シベリア鉄道の国際沿線が北京から出ているのでそのため。
 
初中国!
空港からはAirportLineに乗ります。
この電車で市内のSubwayに乗り換えれるか若い女の子に聞いたらここであってるよ!と言ってくれたので安心して列車にゆられ、途中でSubwayLineに乗り換えです。
北京の地下鉄はわかりやすかったですとても。
宿のある前門まで乗り換え2回、ホステルまで歩いて15分ほど。
 
この時点で北京もう一泊しよって決めました。
ちゃんと中国の繁華街のイメージがそこにはあってワクワクしました。
 

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本日のお宿は365inn。
 

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外人がたくさん。というか日本人はいなかったのかな。
バーも併設してあってみんな飲んでます。
 

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隣のお店の犬
 
 
私は陰キャなので部屋にこもってネットで翌日の宿探し、ここは翌日はフルだそう。
 

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同室のアメリカ人が2年旅を続けている方でいろんな旅情報を教えてくれました。
2年ってすごいよね、でもそろそろ国に帰ろうかと思っているらしい。
ポーランドのKraków(クラクフ)という街をお勧めしてくれました。
日本にも行ったことがあるそうで、いい国だったよという嬉しいお言葉。
 
しばらくすると青年(イケメン)が同じ部屋へやってくる。
その人は足に霞がかった針葉樹林のタトゥーが入ってて
拡張して耳に00g(1cm)の大穴あいてて、かなりファンキーな見た目。
ちなみにアイルランド人。
タトゥーが最高にカッコよかったので褒めました。
ハニカミながらでもまだ彫ってる途中なんだと教えてくれます。
気を良くしたのかそのあとからやたらと飲みに誘ってくる・・・。
 
今日は調べまくることがあるからすまんね、と断りを入れつつ話してたら、
なぜかベットにやって来て隣に座る。
肩が当たるぐらいには近い・・・。
距離の縮め方が日本人と違いすぎて戸惑いつつも出てってやくれやとお願いします。
がしかし、
拙い英語で、どこまで言っていいものか考えあぐねる私。
下手なこと言ってブチ切れられたら怖いし。
 
そんな時救世主が!
もう寝たと思っていた2年トラベラーのアメリカ人が
「彼女には恋人がいるんだ!飲みにも行かないと言ってるじゃないか!」
という感じでたしなめてくれます。
彼は一人で飲みに出て行きましたとさ。
助かりましたアメリカ人、ありがとう。
そのあと彼は、
2年も旅をしてるとモラルのない若者もいてね、
おっぱじめるのを何度も見てきたよ・・・と言ってました。
旅も大変ですね。
ついでに曖昧な態度はダメだよと私もたしなめられた。反省。
 
その晩はシャワー浴びて宿も決まったし就寝〜
 
翌日はまず次の宿に移動。
荷物を預かってもらいます。こちらはLeohostel。
365innのすぐ近く。中こんな。
 

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それからは市内観光、言うても前門周辺だけ
この後に行くシベリア鉄道のことで頭がいっぱいで何も調べてなかったので
特にあてもなく前門周辺をウロウロ。
 

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このガラクタ感・・・好き
 

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お掃除してはる。
 

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なんか肉片を食べた、小麦粉ねった団子みたいなやつも入ってた。不味い。
 

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そしてこの日の晩にシベリア鉄道のチケットをやっとこさ取しました。
遅い。
 
なんと北京からウランバートルは売り切れている!
 
陸路のルートもあるようなのでバス移動となりました。
 
そして、チケットのバウチャーを印刷したい気持ち、
だめもとでホステルのスタッフに聞いたら快く承諾してくれて、
このホステル宛てにメールに添付して送って!と言われたので送信。
 
だが届かない。
 
スタッフいわく、ネットが遅いから10分くらい待っててとのこと
 
10分、20分、30分、40分・・・
 
1時間位待ったけどメールこないという・・・
諦めかけたその時、僕のメールアカウントで送ってみるからパソコン貸して、
と言ってくれて、わざわざログインしてメールをホステル宛てに送ってくれました。やさしい。
 
だがしかし、そうこうしてるうちに私が最初に送ったメールが届いて、
無事にプリントアウト出来ました。
優しい青年に感謝!
 
次の日からは
夜行バスでザミンウード(モンゴルの国境)→
夜行バスでウランバートル(モンゴルの首都)
と二泊連続オフラインは確定なので万里の長城の道順確認とウランバートルへの行き方の下調べ。
調べることが多くて脳みそが焦げ付きます。
 
そして就寝。おやすみなさいー。
 
 
 
 
 

お金がないっ:一番効いたホームレス暮らし

お金が無いなら誰かに飼われたらいいじゃない。
なんて誰かが言ってそうな言葉ですが、
そんな人間一人を飼うほどの金銭的余裕のあるBL漫画みたいな人は
日本では中々出会えません。
 
ということでお金を貯めねば。
 
院の一年の間はちまちまお金を貯めてました。
結論からいうと一番効いたのは居を構えない!
にわかホームレスですね。
4年間の学部を卒業した後は家を引き払い、
友達市野の家に1ヶ月ほどお邪魔になりまして
新年度4月から最初の1ヶ月はシェアハウス
(日当たりが悪くて出ました)、
次の4ヶ月はゲストハウスの宿直
(朝の時間が折り合いつかなくて出ました)、
9月からは友達みゆきちゃんの家、
と住所不定でたくさんの方に迷惑をかけつつ、
家賃は浮かせました。
まじ何やってんのという方もおられると思いますが、
それを笑って受け止めてくれる方もいる不思議な世界。
ありがてえ。本当にありがとございます。
ほんと今日どうしようもないって日は大学に寝泊まりが出来るのもありがたかったですね。
あと大学からチャリで15分くらいのところに銭湯があるのも助かりました。
 
学部の頃は月3万5千のとこに住んでたので一年で42万円の節約。
光熱費も月1万くらいだったので一年で12万、
家賃と光熱費で54万円の節約。
シェアハウスは一ヶ月だけで1万7千、
ゲストハウスとみゆきちゃんちは実質タダ。(みゆきちゃんにはお礼しました。)
50万は浮かした。よくやった私。
顔のツラの厚さがすごい、本当に感謝しています。
 
でも家がないと風邪をひいたときにとても困りました。
みゆきちゃんちにも帰れないし、
大学の研究室で菌を蔓延させるのもアレなので
このときばかりはホテルに泊まりました。
一泊だけ!
 
あと家が無くなって初めて気づいたんですが、寝具の大切さ。
当たり前すぎて気づいてなかったんですけど、布団についてるあの匂い、
自分の体臭の積み重ねにより染み付いたあの匂い。
とてもリラックス作用があります、間違いなく。
 
枕は使わない女優派なので、
枕の持ち歩きは不可、
ふとんはさすがにかさばる・・・
なので自分の寝具!ってやつが無かったんです。
 
旅行で2、3日寝具が変わるくらいならなんともないんですが、
連続すると話は変わってきます。
たぶんこの一年はこれまでほどぐっすり眠れたって日はない気がします。
そのストレスか、いびきをかくようになってしまいました泣
 
 
 
 
そして休学して春休みの始まる2月半ばからはリゾバでお金を貯めてました。
栃木は鬼怒川温泉です。
理由は東京に近いことと小渕がいたこと。温泉好きなこと。
実際は朝は早くて夜は遅いのでかなりハード、
旅館の人の気持ちを少しだけ理解できた気がします。
次泊まるときの参考にします。
毎日2回着物を着てたので自分で着付けできるようになりました。
思いがけずですがラッキー。
 
 
着物を日常的に着る暮らしは時代錯誤であるかもしれないですが、
その違和感がまたいいしそんな人も一定数いてほしいし、
自分もその一人になる可能性がある価値観に住んでるような気もします。
なのでこの術を忘れずにいたいな。
 
てか働きたくないと言いつつ
結局働くことでしかお金は得られないですね。
 
いろんな国に行くのでビザを取るために東京に行ったりもしてました。
休みはそんなに無いのでまとめて東京でワクチンも打ってました。
 
 
 
 
本当は5月から行こうと思ってたんですが、
どうしても外せない用事が前倒しになったのでそれまでの時間潰しとして
一ヶ月のフィリピン留学に行くことにしました。
というか、英語に全く自信が持てないので悩んでたんですよね、
旅立つ前に行くかどうか。
 
世にはそんなの行かなくても話せるようになると言う方もいるし
語学留学は甘えだろうと囁く私もいて、悩んでました。
だがしかし思いがけず空いた一ヶ月をどう埋めるか考えたとき、
一番しっくりくる選択だったので行くことに。
 
 
 
 
 
そんなこんなでやっと6月後半に旅立つのです。
 
 
旅に出るまではこんなとこでしょうか。詳細書いていく気になっったら書くのかな書かないかも。
 
 

マザーテレサはいいよな、人の幸せが自分の幸せで

今年2017年いっぱいは大学院を休学して海外へ遊びに行くと決めてました!

その経緯をつらつらと。
 
なので今は2017年の7月と、かなり後出しの投稿でこれはフランスで書いているのですが
これまでの道のりをだらだら後出しなりに書いていこうかと思います。
中途半端な下書きはたくさんたくさんあるのでがんがんに上げていきたいところです。
 
 
院に行く理由の半分はモラトリアムの延長旅行、
そしてもう半分はまだ大学の日本屈指であるであろう設備をフルに使いたかったから
シルクスクリーンとかレーザーカッター、ろくろに暗室とやってると楽しい設備がいっぱい。
やってるとなんですけどね。
 
内定が決まった瞬間に思ったんです、
(あ、私、働きたくないな)と。
あとから様々な理由が浮かびましたが、一番はこれです。
ということですぐさま申し訳ありませんと企業のほうにお伝えしまして、
 
1年目:院一年
2年目:休学
3年目:院二年
 
トータル3年のモラトリアムです。
ちなみに私の大学の院は最大4年間所属でき、
かつ休学でお金がかからないので
その気になればもう1年遊べるドンです。
 
 
知っている人は知っているであろう糸島のギフトでね、
それはもう悔しい記憶ですが私なりに考えたんです。
達成できなかったのは私の力不足だったけれども、
本当にやりたい事って何かとか
就活で岡山と福岡とたまに東京、そして名古屋に行って
今後どこでどう生きていこうかとか、
幸せってなんぞとか、
人間が人間らしく生きる形ってなんなのかとか
答えの無い途方のない事をずっと考えてました。
たぶん暇だったんですけどね。
 
そしたらふっと、中学の頃のファンキーな友達の一言が浮かびました。
私にゴッドファーザーの素晴らしさを教えてくれた友達の一言。
 
「人生なんて暇つぶしなんだからやりたいようにやったらいいよ」
 
どんな場面での会話かはもう記憶の彼方ですが、
厨二病と揶揄される多感な時期にそんなことを言われたらいやでも残っちゃいますよ。
しかも同じ年の女の子にです。
今思えばおませさんな発言なんですが、考えれば考えるほど的を得ている。(射ている?)
 
だって、今私が囚われている社会のしくみや在り方や人間関係、
すべて人間が作り出した価値観で尺度でしかないのは確かです。
 
たとえば「時」という概念を認識しているのは人間だけす。
他の生物は、たぶん人間でいう「今」という概念を
それなりに寝たり食べたりで生きていると思います。
いつ死ぬかなんて考えませんたぶん。
身の危険を感じたら逃げるってだけ。
数字を当てはめることによって生まれた「時間」によって
人間は時を振り分けて効率的に使い、ここまで発展してきたんだと思います。
一方、そのために時に囚われていてストレスを感じることも多々あります。
 
そうやって突き詰めて考えると、時間、国、社会、お金などは
共通認識の上で成り立っているものだと気付かされました。
 
一時期はこの人類が地球上で繁殖しているから地球がこんなに可哀想に感じるんだ、
人間なんてみんな死んじゃえ、みたいなことを思っていて、テロリストにもそんな思想の元に活動している人もいるんじゃなかろうかなど、完全に危険思想に耽ることもこともありましたね、厨二ですかね。
今も大国のどこかが同時にニュークリアなどをぶっかましてみんなが同時に消えるならそれはそれで清々しいものがあるかもとかは考えます。
でもこれは諸問題からの逃げの一択で、しかも選択したらゲームオーバーみたいなものなので実行はして欲しく無いですけどね。
(これ書いてて思ったけどマギみたい)
 
話を戻すと人間はあるような無いようなふわふわした価値観のもと、ふわふわ生きている!という結論に至ったわけです。
 
そして、死んでしまったら何もできなくて、生きれるのは「今」しか無いということ。(これは大事なものが死んだ時に強く実感するので死にも意味があるとつくづく思いますが)
そして、時間に縛られててどんまいと思いつつ、老いていくことは事実で、これを書いてる今も私の細胞は着々と酸化して古くなっていってるということ。
 
書いてるほどにおおげさにあたふたはしていませんが、
忍たまではありませんが、これはやりたいことやったもん勝ちなんじゃね状態になったわけです。
 
なので、働きたくない私は一旦、働かない選択肢を選びました。
まーなにか一大事がない限りは80年くらい生きれる昨今だし、
2−3年くらい自由に生きてもよくね?と思いました。
別に働いてからも自由なんですけど、自由じゃない気がするんですよね、
今の日本の社会で暮らしてるとそうひしひしと感じます。
社会に出るの怖すぎワロタです。
ピーターパンがピーターパンであり続ける理由がとてもわかります。
 
 
糸島のギフトで話した人の受け売りなんですが、
 
風土は風と土から作られる、
それは人にも置き換えられるもので、
その土地に根付いてその土地の文化などを図らずとも受け継いでいく土の人と、
別の土地からやってきて新しい文化や価値観を伝える風の人
その両方の作用によって風土というものは形作られていく
 
みたいな話、その人もまだ風の人でいたいと言っていたけれども、
私もまだ地元に帰ったり、どこかにとどまって働くような地に足がついた生き方はできない。
風モードで生きたいと思いました。どこかにとどまるのが嫌だと思いました。
若い間の方が風モードがやりやすそうだし。
 
これはとても独りよがりな感じがしますが、まさしくそうで、
人に生まれたからには人の価値観の中でしか生きられないのだし、
なら私はその価値観好き生きてみようと思いました。
前は糸島のためとか言ってましたが、
そんな生き方向かないと気付き、
自分のために生きることにしました。
マザーテレサはいいよな、人の幸せが自分の幸せで。と思います。
そんな素晴らしい人間にはなれたもんじゃないので
せめて自分が幸せだと思う方向に進むのです。
身近な人は大切なので大切にしたいです。
 
 
そして、海外に遊びに行きます。
というかこれ書いてる今来ています、もう7月やん。
行きたいとこに全部行きたいです。
今後行かなそうなとこを優先的に。
死ぬ時にあそこに行っておけばよかったという後悔をなるだけしたくない。
大学4年間でアートやデザインについての興味がありありとわいたので、
美術館、というか世界の美しいものを見て感じたいです。
自然だったり建築だったり絵画だったり形はなんでもいいんですが。
 
 
 
そんな旅にしていってます。
 
終わり
 
 
 

バンクシーと子猫とふーちゃん

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この子猫は世界的に有名な覆面グラフィックアーティストのバンクシーパレスチナガザ地区に残していったもの。

 

リンクを読んだら良くわかるけど、この絵の理由を聞かれたバンクシー

自分のウェブサイトに写真を投稿して、ガザの破壊された姿に焦点を当てたいのだ、と。インターネットの人たちというのは、子猫の写真しか見ないものだから

 と言ったそう。

 

 

 

そして今日の私といえばこれです。

fukuoka.parco.jp

 

母と姉が行くっていうのでついていきました。

SNSで有名な猫たちの写真が一堂に集められ

これでもかというくらい癒してくるという催しです。

 

入る前はね、

「ネットの画像集めただけやん、お金勿体無いし入らんでいいや」

とか言ってしまった。空気読まずに。お母さんに

「せっかく来っちゃけん入っとこうよ」

と諭され入場。

 

正直、大きく見れるってだけで所詮画像。

癒し効果はスマホの画面を見てるときと変わらない。

 

それでも十分ににやけてしまうけれど、

3人でニコニコできて割といい時間過ごせたけれど、

太ももと猫というコンセプトでツイートしているユーザーさんを見つけてすかさずフォローしたけれども、

ふーちゃんの揚げ物っぽさのある画像がとても可愛かったけれども、

猫のふわふわの毛先までバッチリ拝めて幸せだったけれども、

値段相応に堪能したけれども、

 

これで学生400円かー、いい商売やなと思ってしまった。

 

それこそ子猫の写真しか見ない比較的安定した国の私たち向けの

超・娯楽だなと思った次第です。

 

でも問題に目を向けたところで私には「知ること」以上の何かが

出来るかと言われたら疑問です、考えないようにしてるだけなのかもしれないけど。

 

大事な人とモノは手の届く範囲にあることは間違いないので。

それらをパーフェクトに大事に出来たらそれでよしとしてほしい。

幸せ享受させてほしい。

でも

ネットでどんな世界にでもアクセスできる時代の私たちにこそ響く形で

バンクシーは訴えてくるんだなー

猫ばっかじゃなく世の中のハードな面も見なはれと

それには自身の知識も必要で、猫みたいにふわふわで甘くはないけれど、

知ったら知っただけの面白さや鮮烈さがあるのだろうと思う。

でもこの子猫グラフィティを真の意味で理解できるのもこの時代に生きる私たちだけだと思うので

この現代アートとしての子猫グラフィティさえも享受している。

 

 

 

でも優しさは連鎖するはずだから身近な人に優しくして遠いパレスチナの人まで届いたら最高じゃないかな。それくらいしか浮かばないや。

 

とかいう理想論でおしまい。

 

 

 

 

「2025年の私」

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 2025年。
 私は32才。
 20年前にかなえたかった夢「イラストレーター」はかなってしまっている。20年前から好きだった「絵をかく」という仕事について楽しい毎日を送っているはずだろう。
だけど、これは、仕事。
 自分のかきたいものとは別のものを注文どおりにかいていく。その中に、工夫して自分らしさ、個性をまぜていく。そのうち、私らしい個性が認められて、人気が出てくればいいけれど、全く売れないということだってあるだろう。それをかくごして、イレストレーターになったからには、努力と実力でイラストレーターとして認めてもらえるようにがんばる。
 その目標を達成できたら、また、次の目標、夢をたてる。次の目標はぼちぼちくらいで人気になる。あまり、売れるとお金が入ってくるかわりに自分らしい絵を見つける時間がへってしまいそうな気がするからだ。それに、私のことだから、有頂天になって自分らしい絵に対するこだわりがなくなるかもしれないから、ぼちぼちが私にぴったりな気がする。人気が出てきて、注文がたくさん来たら、手が痛くならない程度にひきうけたいと思う。
 親を支えるぐらいは立派になっていたい。めいわくをかけたはずだから。
 自由業というイラストレーターの長所を最大限にいかして、のんびり、マイペースに、それでもバランス良く生活ができていれば、それが私にとって一番幸せだと思う。
 2025年、12才の私はこうであってほしいと思っている。

 

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これは私の小学校の卒業アルバムでの作文だ。

卒業生一人ひとりが「6年間の出来事」や「心に残った思い出」など様々なタイトルで作文を書いている。私は将来の自分を妄想して文章を書いたようだ。

 

不覚にも泣いてしまった。そして、ちょっと笑えた。

 

昨年はなんだか自分の気持ちと折り合いがつかず足踏みして終わったことが多くて

モヤっとした一年だった。ようはなにもしていない・・・。

だからこそちょっと救われた。初心に帰れたというか私の今後の指針を示してくれているというか、これを32までに達成するために私は今、デザインやアートの分野でざぶざぶ泳いだりあぷあぷ溺れたりしているのだと実感した。

昨年は溺れ続けた一年だった。表面は穏やかだったが内心では大荒れ、第三次世界大戦並みの議論が繰り返され私の希望は今にも白旗を掲げそうだった。

ネガティブな思考がつきまとい思うように体が動かず自己嫌悪を重ねる毎日・・・。

心療内科に行ったら鬱って言われる気がして行かなかった。そんな感じ。

 

 

たぶん小6の私なりに考えての2025年なのだと思う。だって32才って12才からしたら結構遠い。20才とか25才を念頭に卒業の作文を書いている人が多い中、あえて20年後の32才。

想いが強ければすぐになれるとかそんな理想はこの時から抱いていなかった、そもそもそんなに強い精神を持ち合わせている人間だとも思っていなかった、だから32なのだと思う。

23才のテメェなんざまだ道半ば、やれることからやりたいことからやっていけと背中を押してくれた。気がする。

小6の私、先見の明ありすぎ。ありがとう。

 

 

まだ道は途中のようだし、今の私は道草する気満々である。

 

だから2017年は実りある年にしたいねっていう話でした。