日記の意義について考える
この日記は備忘録的要素が強いものにしていこうかなっって思っています。
基本思考がぐちゃぐちゃで散らかってるので冷静に考える場というか、論理的思考に立ち戻りたいがための日記。
あと一旦文章にすると人に話すときに順序立てて分かりやすく話せる気がするから。
エピソード記憶が弱い私にはぴったり。
普段は手帳にその日にあったいいことを3つ、星マークのあとに書き連ねています。
内容は読み返すとかなりささいなことしか書いていないけれども、
毎日何かしら楽しんでるなーと思うと幸せを噛み締められるのでおすすめ。
常に前を向いていろいろアクションを起こせたら、精神的にもいい状態な気がするけれども、
ふとあのときなにやってたっけって過去を振り返りたくなったときにとても助けになるから、日記は好きだ。
好きだから初めてみる、日記が文章が、そんな感じ。
なんであえて公開かっていうと、人に文章を褒められる快感を知ってしまったから。
Facebookに投稿した文章をね、たまに、褒められるのです。
褒められるのが好きな人も多いから共感してもらえると思います。
承認が欲しい欲求の段階まできているのです。
マズローの欲求5段階ってやつですね。
生まれたばかりの赤ちゃんみたいに、快か不快かだけで生きれたらそれほどシンプルで
かっこいいことはないけど、
幸か不幸か私は理性を持った人間です。
複雑化した思考や心理から芽生えちゃうよね、承認欲求。
でもそれが人間が人間たる社会性ってものにつながっているのは明白なので、
この気持ちと生きていくしかないですね。
赤子から子供になり、青年になり、大人になり、
生きれば生きるほど新しい気持ちに出会える気がします。
大人になると涙腺がゆるくなるのは、たくさんの感情を知ってその気持ちを経験しているから、人の話を聞いただけでも共感が生まれて、同じとは言わないまでもそれに近い感情を思い出せるからだろうなと思っています。
気持ちは喜怒哀楽だけでは言い表せない多様性を持っているし、それに名前が付いていないことがけっこうあって、もやもやするって思うことはたくさんあるけれど、
その気持ちといかに向き合って人に伝えるなり、自分の中で昇華させたりするかが次につながっていくと信じている。信じたい。
もっと人間らしく、泥臭く、汚く、醜く気高く生きたいですね。
頑張れ私、頑張れみんな。
朝は空気がひんやりしてもう秋めいてきていますね。