とうとうと

とうとうと過ぎる日々にとうとうついていけない思考を取りまとめる

「2025年の私」

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 2025年。
 私は32才。
 20年前にかなえたかった夢「イラストレーター」はかなってしまっている。20年前から好きだった「絵をかく」という仕事について楽しい毎日を送っているはずだろう。
だけど、これは、仕事。
 自分のかきたいものとは別のものを注文どおりにかいていく。その中に、工夫して自分らしさ、個性をまぜていく。そのうち、私らしい個性が認められて、人気が出てくればいいけれど、全く売れないということだってあるだろう。それをかくごして、イレストレーターになったからには、努力と実力でイラストレーターとして認めてもらえるようにがんばる。
 その目標を達成できたら、また、次の目標、夢をたてる。次の目標はぼちぼちくらいで人気になる。あまり、売れるとお金が入ってくるかわりに自分らしい絵を見つける時間がへってしまいそうな気がするからだ。それに、私のことだから、有頂天になって自分らしい絵に対するこだわりがなくなるかもしれないから、ぼちぼちが私にぴったりな気がする。人気が出てきて、注文がたくさん来たら、手が痛くならない程度にひきうけたいと思う。
 親を支えるぐらいは立派になっていたい。めいわくをかけたはずだから。
 自由業というイラストレーターの長所を最大限にいかして、のんびり、マイペースに、それでもバランス良く生活ができていれば、それが私にとって一番幸せだと思う。
 2025年、12才の私はこうであってほしいと思っている。

 

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これは私の小学校の卒業アルバムでの作文だ。

卒業生一人ひとりが「6年間の出来事」や「心に残った思い出」など様々なタイトルで作文を書いている。私は将来の自分を妄想して文章を書いたようだ。

 

不覚にも泣いてしまった。そして、ちょっと笑えた。

 

昨年はなんだか自分の気持ちと折り合いがつかず足踏みして終わったことが多くて

モヤっとした一年だった。ようはなにもしていない・・・。

だからこそちょっと救われた。初心に帰れたというか私の今後の指針を示してくれているというか、これを32までに達成するために私は今、デザインやアートの分野でざぶざぶ泳いだりあぷあぷ溺れたりしているのだと実感した。

昨年は溺れ続けた一年だった。表面は穏やかだったが内心では大荒れ、第三次世界大戦並みの議論が繰り返され私の希望は今にも白旗を掲げそうだった。

ネガティブな思考がつきまとい思うように体が動かず自己嫌悪を重ねる毎日・・・。

心療内科に行ったら鬱って言われる気がして行かなかった。そんな感じ。

 

 

たぶん小6の私なりに考えての2025年なのだと思う。だって32才って12才からしたら結構遠い。20才とか25才を念頭に卒業の作文を書いている人が多い中、あえて20年後の32才。

想いが強ければすぐになれるとかそんな理想はこの時から抱いていなかった、そもそもそんなに強い精神を持ち合わせている人間だとも思っていなかった、だから32なのだと思う。

23才のテメェなんざまだ道半ば、やれることからやりたいことからやっていけと背中を押してくれた。気がする。

小6の私、先見の明ありすぎ。ありがとう。

 

 

まだ道は途中のようだし、今の私は道草する気満々である。

 

だから2017年は実りある年にしたいねっていう話でした。