とうとうと

とうとうと過ぎる日々にとうとうついていけない思考を取りまとめる

マザーテレサはいいよな、人の幸せが自分の幸せで

今年2017年いっぱいは大学院を休学して海外へ遊びに行くと決めてました!

その経緯をつらつらと。
 
なので今は2017年の7月と、かなり後出しの投稿でこれはフランスで書いているのですが
これまでの道のりをだらだら後出しなりに書いていこうかと思います。
中途半端な下書きはたくさんたくさんあるのでがんがんに上げていきたいところです。
 
 
院に行く理由の半分はモラトリアムの延長旅行、
そしてもう半分はまだ大学の日本屈指であるであろう設備をフルに使いたかったから
シルクスクリーンとかレーザーカッター、ろくろに暗室とやってると楽しい設備がいっぱい。
やってるとなんですけどね。
 
内定が決まった瞬間に思ったんです、
(あ、私、働きたくないな)と。
あとから様々な理由が浮かびましたが、一番はこれです。
ということですぐさま申し訳ありませんと企業のほうにお伝えしまして、
 
1年目:院一年
2年目:休学
3年目:院二年
 
トータル3年のモラトリアムです。
ちなみに私の大学の院は最大4年間所属でき、
かつ休学でお金がかからないので
その気になればもう1年遊べるドンです。
 
 
知っている人は知っているであろう糸島のギフトでね、
それはもう悔しい記憶ですが私なりに考えたんです。
達成できなかったのは私の力不足だったけれども、
本当にやりたい事って何かとか
就活で岡山と福岡とたまに東京、そして名古屋に行って
今後どこでどう生きていこうかとか、
幸せってなんぞとか、
人間が人間らしく生きる形ってなんなのかとか
答えの無い途方のない事をずっと考えてました。
たぶん暇だったんですけどね。
 
そしたらふっと、中学の頃のファンキーな友達の一言が浮かびました。
私にゴッドファーザーの素晴らしさを教えてくれた友達の一言。
 
「人生なんて暇つぶしなんだからやりたいようにやったらいいよ」
 
どんな場面での会話かはもう記憶の彼方ですが、
厨二病と揶揄される多感な時期にそんなことを言われたらいやでも残っちゃいますよ。
しかも同じ年の女の子にです。
今思えばおませさんな発言なんですが、考えれば考えるほど的を得ている。(射ている?)
 
だって、今私が囚われている社会のしくみや在り方や人間関係、
すべて人間が作り出した価値観で尺度でしかないのは確かです。
 
たとえば「時」という概念を認識しているのは人間だけす。
他の生物は、たぶん人間でいう「今」という概念を
それなりに寝たり食べたりで生きていると思います。
いつ死ぬかなんて考えませんたぶん。
身の危険を感じたら逃げるってだけ。
数字を当てはめることによって生まれた「時間」によって
人間は時を振り分けて効率的に使い、ここまで発展してきたんだと思います。
一方、そのために時に囚われていてストレスを感じることも多々あります。
 
そうやって突き詰めて考えると、時間、国、社会、お金などは
共通認識の上で成り立っているものだと気付かされました。
 
一時期はこの人類が地球上で繁殖しているから地球がこんなに可哀想に感じるんだ、
人間なんてみんな死んじゃえ、みたいなことを思っていて、テロリストにもそんな思想の元に活動している人もいるんじゃなかろうかなど、完全に危険思想に耽ることもこともありましたね、厨二ですかね。
今も大国のどこかが同時にニュークリアなどをぶっかましてみんなが同時に消えるならそれはそれで清々しいものがあるかもとかは考えます。
でもこれは諸問題からの逃げの一択で、しかも選択したらゲームオーバーみたいなものなので実行はして欲しく無いですけどね。
(これ書いてて思ったけどマギみたい)
 
話を戻すと人間はあるような無いようなふわふわした価値観のもと、ふわふわ生きている!という結論に至ったわけです。
 
そして、死んでしまったら何もできなくて、生きれるのは「今」しか無いということ。(これは大事なものが死んだ時に強く実感するので死にも意味があるとつくづく思いますが)
そして、時間に縛られててどんまいと思いつつ、老いていくことは事実で、これを書いてる今も私の細胞は着々と酸化して古くなっていってるということ。
 
書いてるほどにおおげさにあたふたはしていませんが、
忍たまではありませんが、これはやりたいことやったもん勝ちなんじゃね状態になったわけです。
 
なので、働きたくない私は一旦、働かない選択肢を選びました。
まーなにか一大事がない限りは80年くらい生きれる昨今だし、
2−3年くらい自由に生きてもよくね?と思いました。
別に働いてからも自由なんですけど、自由じゃない気がするんですよね、
今の日本の社会で暮らしてるとそうひしひしと感じます。
社会に出るの怖すぎワロタです。
ピーターパンがピーターパンであり続ける理由がとてもわかります。
 
 
糸島のギフトで話した人の受け売りなんですが、
 
風土は風と土から作られる、
それは人にも置き換えられるもので、
その土地に根付いてその土地の文化などを図らずとも受け継いでいく土の人と、
別の土地からやってきて新しい文化や価値観を伝える風の人
その両方の作用によって風土というものは形作られていく
 
みたいな話、その人もまだ風の人でいたいと言っていたけれども、
私もまだ地元に帰ったり、どこかにとどまって働くような地に足がついた生き方はできない。
風モードで生きたいと思いました。どこかにとどまるのが嫌だと思いました。
若い間の方が風モードがやりやすそうだし。
 
これはとても独りよがりな感じがしますが、まさしくそうで、
人に生まれたからには人の価値観の中でしか生きられないのだし、
なら私はその価値観好き生きてみようと思いました。
前は糸島のためとか言ってましたが、
そんな生き方向かないと気付き、
自分のために生きることにしました。
マザーテレサはいいよな、人の幸せが自分の幸せで。と思います。
そんな素晴らしい人間にはなれたもんじゃないので
せめて自分が幸せだと思う方向に進むのです。
身近な人は大切なので大切にしたいです。
 
 
そして、海外に遊びに行きます。
というかこれ書いてる今来ています、もう7月やん。
行きたいとこに全部行きたいです。
今後行かなそうなとこを優先的に。
死ぬ時にあそこに行っておけばよかったという後悔をなるだけしたくない。
大学4年間でアートやデザインについての興味がありありとわいたので、
美術館、というか世界の美しいものを見て感じたいです。
自然だったり建築だったり絵画だったり形はなんでもいいんですが。
 
 
 
そんな旅にしていってます。
 
終わり